友人
高校時代の友人と電話で話した。
運よく、在宅。身辺を報告し合う。
子どもたちのこと。夫のこと。
コロナ禍で、彼女の夫は最前線で働いていた。
管理職なのに、彼の能力を必要とされている医師だった。
防護服着用の仕方を消防などの関係機関にもレクチャー。
昔から、有能なことは伝え聞いてきたが、やはり、今回もか、、、。
休養をとる暇もなく、地域の為に駆けずり回っているらしく、彼女は夫が痩せたことを心配していた。
彼のような有能な人が政治家だったら、日本は安泰なのに、と思う。
彼がどれだけの命をこれまで救ってきたかを考えると、贅沢は言えないが。
私は、その彼を支えてきた友人にお疲れ様、と言いたい。
彼女は太陽のように明るく、前向きで、偉ぶることのない素敵な女性。性格の良いお嬢さんだった。
彼女の家に遊びに行った時、お手伝いさんが、お茶を運んできてくれたことを、テレビドラマのよう、と思った。苔庭が有り、ししおどしが有った。明治時代のような別棟の日本家屋が有り、敷地内に荷物を運ぶための線路が敷いてあった。
彼女は、バレーボールもする元気いっぱいの女性だったがピアノの先生からは指を怪我するからバレー禁止令が出ていた。
結婚、出産は、健康面で彼女の人生に新たな局面を迎えさせた。
病との闘いが始まったと思う。
多忙で優秀な夫を支えることも大変だっただろう。
私は、結婚前の屈託のない娘時代の彼女を知ってるだけに、少し胸が痛くなる。自由にヨーロッパで歴史探索をし、様々な習い事をし、
都内のマンションで一室を工房にして、ステンドグラスも創っていた。
結婚後は、ひたすら家庭を守っていたと思う。
旅行などする暇もなく、多忙な医師の夫を支えていた。
子どもが大きくなった頃、「何十年ぶりに軽井沢へ行ったわ」と言っていた。
コロナ禍で、夫がリタイヤしたくてもできない状況で、体に腫瘍を抱えた彼女は、今日も、庭の薔薇の手入れをしているのだろう。
結婚とは、いかばかりのものか。
人生とは、いかばかりのものか。
頂き物
うだるような昼下がり、ピンポンが鳴る。
ご近所の工事に伴う職人さんが、菓子折を持って現れた。
ご迷惑おかけします、ってわけだ。恐縮。以前から、お話は伺ってたが。
五分後、また、ピンポン。
別のお隣さんが、大きな葡萄の塊を持って現る。ご親戚からのお裾分けとのこと。有難く頂く。熱いですねぇ、とお天気の会話で。「ありがとうございます。」
わあ、サザエさんの世界か。
母の世界。私が子どもの頃のようだ、と思いつつ、そうだ、と、ビールの買い置き、を引き出しに見つける。ギフトっぽい包装で、ネットスーパーで買った時、「これ、お使い物になるな」と直感してた、サッポロ黒ビール。
慌てて、それ持って、外へ。まだ、となりの奥様は庭にいらして、間に合った。「これ、冷やして飲んでね」
一連のやり取りの後、家に入る。
きのう、母にお供えしたからか、戻りが大きいなあ。
おかあさん。
母が亡くなって一年です。
お盆が過ぎましたね。
コロナ禍でお墓参りもできずに、母の写真に彼女の大好きだった西瓜をお供えして、夏が行き過ぎていきます。
惨禍となるような暑さを耐え忍ぶ日々。
朝晩の水撒きや、室内の陽射しを避ける工夫で、毛足の長い猫を気遣いながら、クーラーをつけて室内で過ごします。
TVで「私の家政夫ナギサさん」を観ていたら、ナギサさんのお母様との関わりが出て来て、自分の母との事も、思い出した次第です。
後悔のない関わり方。
みんな違うと思いますが、私の場合はあれで良かったのか。
やはり、考えてしまいます。
空の上の母は、不思議と身近に感じます。
現実と向こう側との境目がだんだん薄くなってくるのが、年をとるってことなんでしょうか。
三浦春馬くんのような若い方が逝ってしまうのは、辛すぎますけどね。
仏像とか、ご神木とか、見に行きたくなってしまいます。
当分、無理でしょうか。
ご自愛ください。